柳井市議会 2022-12-08 12月08日-03号
現在、私の近くの柳井川のJRの高架橋の下の、要するに堤防が、これは、この前確認しましたら昭和19年に完成したようになっておりました。もうかれこれ70年以上たっている鉄橋ではないかと思うのですね。今日も来るときに、そこ通ってきましたけど、水がかなり漏れております。その周りについては、市のほうでこの前整備をしてもらいまして、すごく感謝しております。
現在、私の近くの柳井川のJRの高架橋の下の、要するに堤防が、これは、この前確認しましたら昭和19年に完成したようになっておりました。もうかれこれ70年以上たっている鉄橋ではないかと思うのですね。今日も来るときに、そこ通ってきましたけど、水がかなり漏れております。その周りについては、市のほうでこの前整備をしてもらいまして、すごく感謝しております。
山口県の人口は、昭和33年に162万3,000人とピークとなりましたけれども、昭和61年以降は減少が続き、令和2年国勢調査では134万2,000人と、前回調査から4.5%、6万3,000人減少をしております。山口県は、全国よりもいち早く人口減少や少子化・高齢化が進行している状況となっております。
都市計画法に基づく開発許可制度は、昭和の高度経済成長期に始まりました住宅需要の増大、市街地の拡大に伴い、十分な道路や排水施設が整備されないまま、無秩序に宅地開発が進んだことを踏まえ、昭和40年代に創設されました。 この開発許可制度により、宅地のみならず道路や排水施設の整備に対して、一定の水準が確保され、良好な市街地の形成、発展が図られることとなりました。
御存じだと思いますけれども、下松は昭和51年3月に、あの赤字隠しが全国紙によって暴露されて、大騒ぎになり、7年間、不自由な思いをした経験があります。その23億円余の赤字解消のために、固定資産税を、20%ですかね、1.4から1.7に引き上げて。それだけじゃなしに、様々な行政サービスが廃止をされたり引き下げられたり、こういうようなことがやられ、地方自治体の手足が縛られると。
本市の水道事業は昭和30年代から40年代にかけた第1期・第2期拡張事業と言われる高度成長期において急速に整備を進め、普及率を高めてまいりました。つまり、短時間に大量の建設投資を進めた結果として、施設の大量更新の時代を一斉に迎えております。 本市では、平成25年度から浄水場施設の更新に併せて耐震化工事を進め、ほぼ完了しております。
本市の人口は、昭和の合併が行われる前の町村を合計した数値となりますが、終戦直後の昭和22年に5万1,143人をピークに、その後は減少し、令和2年には3万799人となり、この間39.8%減少をしております。
玉川さんの略歴を申し上げますと、昭和34年生まれの62歳で、市内の桜町にお住まいであります。昭和57年に北九州大学を卒業後、県内中学校の教諭、本市教育委員会学校教育課長等並びに県内中学校等の教頭及び校長として勤務され、令和元年から本市教育委員会の教育長を務めておられます。
柳井市営山根住宅2戸につきまして、耐用年限を経過し、老朽化も進み、修繕等により引き続き管理することが不適当と認められますので、これを用途廃止するため、別表中の柳井市営山根住宅のうち、昭和29年度建設の木造平家建て戸数9戸を7戸に改めるものでございます。以上でございます。 ○議長(山本達也) 以上で、補足説明を終わります。質疑はありませんか。
供用開始は、令和7年の4月を予定をしているというふうになっていますが、御存じのように現在の御屋敷山斎場の場合、周南3市、下松、周南、光の市民の皆さんに関わる使用料は、供用開始がされた昭和48年からずっと無料で今日に至っています。それで何ら問題はなかったというふうに私は理解をしています。
平成21年策定された都市計画マスタープランでも触れられておりますが、昭和の時代に都市計画決定をされ、長期間建築規制がされてきたものであります。長期間、事業着手がされず、規制と課税のみが行われたことについて、どのように市民に理解を得るお考えでしょうか。お伺いをいたします。
旧生野屋市営住宅は、昭和37年頃、建設をされました。低層の2階建て。中国電力の下松発電所の1号機は、昭和39年に稼働が開始されました。昭和39年、東京オリンピックが開催された年。 ちなみに、私は下松小学校の1年生に入学をいたしました。毎週毎週、週の頭に朝礼のときに、下松市民歌が流れました。いい歌だな、こう思いました。
平田昭和通りに関わって、改良工事で2,200万円、予算が計上されていますけれども。3月の予算審査のときに、青木線の拡幅改良というふうなものに、今年度から取り組むというふうなことで、それの具体化の第一歩が、今度の補正予算、さらにそれを促進するのが2,200万円だというふうに思うんで。
柳井市長も認められている通り、双葉愛保育園は、昭和45年以降「無認可保育所としての特色を生かした保育」を実施してまいりました。 柳井市の保育行政の一翼を担い、認可保育所と共存共営しながら、児童の健全育成に貢献されてきました。 私は三人の子供を双葉愛保育園にお預けして育てていただきました。双葉愛保育園は、小規模の特徴を生かし、子供たちに愛情をたっぷりと注いで、きめ細かい保育をされています。
御存じの通り、昭和59年までは、各市町の健康保険の医療費の総額の45%が国庫補助と国庫負担ということになっていました。当時を振り返ってみますと、担税力を超えて負担を国保の加入者に強いるという状況ではなかったというふうに記憶をしています。国庫の負担削減が加入者の肩に重くのしかかり、払いたくても払えない、そういう状況がつくり出されたというふうに言えると思います。
その中で(1)番として、総合案内所についてでございますが、現在の、こちらの庁舎は、昭和59年9月末に完成をし、各課の、旧庁舎からの移転を経まして、昭和59年10月22日から、全ての課の業務を開始しております。
橘香酢は、昭和58年に、旧大畠町の生活改善実行グループが、ミカンの摘果作業で不要となった幼果、まだ青い果実でございますが、これを利用して、この幼果に、クエン酸を適量加えて作られたのが、今の橘香酢の原型でございまして、地元の皆様の知恵と努力により、商品化に至ったものでございます。
柳井市営と畜場は、大正2年に民間により設置されたと畜場を、昭和13年に旧柳井町が買収し、改築等を経て、現在に至っております。 近年は、平成16年度を最後にと畜の利用実績がない状況となっております。
ちなみに、西市沖にあった焼却場は昭和49年から平成7年、約21年間あそこで焼却処分がされてきました。西市沖に代わる恋路の焼却場は平成8年から平成28年と見込まれていたかと思いますけれども、そのために平成25年から28年の間、61億円を投じてこれまで使ってきた焼却炉を順次新しい焼却炉に更新をするそういうことがなされてきました。
◆28番(堀本浩司君) 盛土造成地21か所についてですが、年代別、昭和・平成・令和と区分けが分かるようでしたら教えていただきたいと思います。 ○議長(中村隆征君) 原田建設部長。 ◎建設部長(原田克則君) 造成年度についてのお尋ねですけれども、一番古いものは昭和36年に造成されたものであります。昭和時代のものが12か所、平成時代のものが9か所、令和時代のものはございません。 以上です。
しかしながら、老人福祉会館玉鶴は昭和49年に近隣のクリーンセンターと同時期に設立された施設であり、施設の老朽化が急速に進んでおり、昨年3月に策定された第7次くだまつ高齢者プランにおいても老人福祉会館などの管理運営については施設の老朽化が著しいため、利用者が安全に利用できるよう施設の改築などを含め、今後の方針を検討しています。とございます。老人福祉会館玉鶴の今後の対応について説明してください。